本日、星海社の「星海社FICTIONS 軍師」に、唐木厚が就任いたしました。
唐木は1964年生まれの編集者で、前職の講談社では第五事業局長を務めました。弊社の代表取締役の太田とは講談社の文芸図書第三出版部、号して「文三」時代からの付き合いです。この度の軍師の招聘を機として、あの頃の「文三」の熱い出版を星海社でも再度実現させていきます。以後何卒よろしくお願い申し上げます。
唐木厚 Profile
1964年生まれ。1988年〜2020年、講談社に勤務。1990年〜2005年、講談社文芸図書第三出版部に所属し、京極夏彦、森博嗣、浦賀和宏らをデビュー時から担当。メフィスト賞の立ちあげメンバーとして、編集者座談会では「D」として名を馳せる。前講談社第五事業局長。
〈唐木厚「星海社FICTIONS 軍師」就任エッセイ〉
――軍師? なんじゃそりゃ?
「この中でどれがいいですか」と、太田社長から就任を要請された役職はどれも突拍子もないものだったが、なかでも最も意味不明なのがこれだった。
――軍師っていうと、やっぱり諸葛孔明みたいなことをやるのか?
さすがに自分はそんな器ではない。第一に、星海社はどう考えても蜀漢ほどの規模はないだろう。
――ならば、秀吉の両兵衛か?
いやいや、自分のことはさておいても、星海社を織田家に例えるのはいくらなんでもおこがましいだろう。
――じゃあ、山本勘助?
武田家か。いや、まだあまりにも大きさが違いすぎる。
――それなら呉用くらいだろうか。
水滸伝に登場する軍師。梁山泊でもまだまだ大きすぎるが、だいぶ星海社に規模感が近づいてきた気がする。
ここまで考えたところで、ふいに二十年以上まえのことを思い出した。
「僕は唐木さんにとっての関羽になりますよ!」
脈絡もなく訳のわからないことを言いだすのが、太田という男の特徴だった。たぶん、先輩の右腕となって万能の活躍をしてみせる、というようなことを言いたかったのだろう。だが、自分が劉備でないのは当然としても、どう考えても太田克史は関羽というタイプではなかった。中国の稗史の中でむしろぴったりくるのは――
「いや、どちらかっていったら李逵だろう」
黒旋風の李逵。水滸伝の登場人物で、目を離したら何をやらかすか分からない荒くれ者の中の荒くれ者である。あまりにも危険なので、主君の宋江は自分が死ぬときに李逵を道連れにしようとしたというエピソードで知られる。太田克史は、当時の自分にとって、まさにそんなイメージの男だった。
――いや、でも、太田君は本当に李逵だったのかな?
今になってみれば、それは違うと思えた。山寨・星海社を十年以上にわたって経営しているのは並みの編集者にできることではない。もちろん、そんなことは李逵には不可能だろう。あのとき太田克史を李逵と思ったのは、自分の方が間違っていたのかもしれない。
そう考えると、なんだか面白くなってきた。「軍師」が何をやるのかは、いま一つ理解できなかったが、引き受けてみてもいいかもしれない。
梁山泊なら、百八人の豪傑を集めないといけないな。星海社がそのくらいの規模まで大きくなるのを見届けるのも楽しいかもしれない。――決めた。
「それじゃあ、軍師で」